ギリシャ公演

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ギリシャ・クレタ島のダンスフェスティバル。野外劇場 7月の夏。
当時のdancyu 多和田編集長に直談判して、掲載するかどうかは原稿次第、という事になりました。最初の原稿で空の表現がいいと掲載が決定となったのですが、そのほかは2回のダメ出し。最終原稿をエジンバラフェスティバルの帰りの飛行機の中で必死に書き、締め切りギリギリ、乗り継ぎのフランクフルトの空港からFAXしました。
ギリシャ•クレタ島で出会った人、自然、おいしい料理
 夏になると、ヨーロッパの各地で音楽やダンス、演劇などの、大小さまざまなフェスティバルが開かれる。私はギリシャのクレタ島で開かれたダンス•フェスティバルに出演するためハニアの街を訪れた。欧米人にとって、日本で生まれた舞踏は、その不思議な存在感に魅力があるようで、わが舞踏団「友惠しづねと白桃房」も、海外で公演をする機会が多い。
 ギリシャといえば、誰もがイメージするあの白い壁、青い海である。絶対にあると思っていたこの風景が、ハニアの街にはなかった! 街中は埃っぽく、商品は乱雑に置かれている。あ~。しかし、この土地には皆が集まってくるのだから、何かある、と気をとりなおす。
 ここにあるのは、最高に暑くなる午後の、ブルーの巨大なスカーフをパッと一瞬で広げたような青い空。湿度が低い分、直線的にやってくる強烈な太陽。片腕を投げ出すと、そこに幾本もの熱い矢が刺さってくるのが見えるような日差し。そして、この暑さに逆らわない生き方。クーラーを完備する考えは全くなさそうだし、35度を超えても、扇風機が回っていればいいほうだ。
 私が泊まった小さな木造のホテル「テレーズ」は、壁や廊下に素敵な飾りものや壷が置かれ、七つある部屋の一つ一つにも細かい気配りが感じられる。一泊約2000円でシャワーの出が悪く、電話もFAXもないけれど、小ざっぱりと清潔。
 ホテルのご主人のドクター•二キタスにギリシャ料理のおいしい店を教えてほしいというと、紹介してくれたのは、「アンフォラ(ワインやオリーブオイルを入れる壷の意味)」という店だった。
海沿いのレストランで夕食を
 ヴェネチアン•ポートと呼ばれる港の周りには、どこか薄汚れているけれど、愛着のわく色合いの桃色や水色のカフェやレストランが、積み重なるようにぎっしりと並んでいて、道沿いにテーブルを広げ、大きなパラソルの下に、どこの店も賑わっている。その一角に「アンフォラ」はあった。
 料理が運ばれてくると、細く痩せた猫たちがテーブルの下にやってきている。料理を食べていると、私の手もとを、シュッ、シュッと小さな猫の手がスイングする。日本にいたら優雅に暮らせるであろうシャム猫も、必死に飛び上がっていた。
 ギリシャ風サラダ、ズッキーニとポテトのグラタン、カルツーニャ(ミジィトゥラというチーズとほうれん草のパイ)、そして、ラムの煮込みリゾット添えに渋味のあるギリシャの赤ワイン。ふと気づくと、隣のテーブルに海の男のようなどっしりとしたおじさんが座り、何も注文せず、新聞を読んでいる。不思議に思っていると、日本人の私が珍しいのか、向こうから話かけてきた。ドクター•ニキタスと同じように、温かく、威厳のあるこの人は「アンフォラ」の主人だと名乗った。ご主人はいつの間にかいなくなってしまったが、注文をしていないデザートや食後酒が、ボーイさんのウィンクとともにテーブルに運ばれてきた。
 日が沈むのは9時。海水浴や遺跡巡りで日焼けした体を休めると、ここからまだ長い夜が始まり、ヴェネチアン•ポートの先にある野外劇場も賑わいだす。
 夜風が静かに衣装を踊らせ、私の舞台はなんとか無事に終わった。今回のお土産は、ワインにオリーブオイル、蜂蜜。どれもが大きなビンや缶に入っていて重い。両手に掲げた袋の重さを苦笑しつつも、クレタ島ハニアの青い空を思い返していた。
(文&写真•うずみ 舞踏家)
 

この公演の終了後、小学生の小さな女の子がどうしても私に会いたいとお母さんと一緒に野外劇場裏の楽屋まで訪ねて来てくれました。満天の星空の下、言葉がわからないぶん、大きな目を輝かせてひたすら私を見つめてくれていたことが、今でもとても励みになっています。忘れられない出会いです。